松江家庭裁判所 昭和41年(家)374号 審判 1967年10月24日
申立人 中村多恵子(仮名)
相手方 中村良平(仮名)
主文
本件申立を却下する。
理由
本件申立の要旨は、申立人は現在内縁の夫月山権之助との内縁関係を解消した(現在松江家庭裁判所出雲支部に内縁解消による財産分与請求中)が、行くところがないのでやむを得ず同人方に居住している。しかし右権之助および同人の長女からはきつく追い出しをかけられており、同居生活を続けることができない状態である上、申立人は病身(結核で化学療法が必要)でもあり、月山方を追い出されればとても独立して生活できないので、申立人の実兄である相手方に申立人を引取つて扶養することの審判を求めるというにある。
よつて按ずるに、松江家庭裁判所調査官倉立守の調査報告書、申立人および相手方に対する各審問の結果、その他本件記録中の一切の資料を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 相手方は貸金業をしていた父中村為作と母キンの長男として明治三八年六月二九日、申立人は同長女として明治四二年三月二六日それぞれ出生した兄妹であるが、母キンは申立人が四歳の時、父為作は昭和一三年六月一四日いずれも死亡したこと、
(二) 申立人は市立松江○○学校卒業後二六歳の時、門田宏(○○神社神官)と結婚したが、病弱のため三年後に離婚し、その後昭和二二年六月申立人三八歳の時、地方の旧家で○○村長をしていた月山権之助と再婚した、当時右権之助には妻子があつたが、一〇数年前から別居状態が続いており、事実上婚姻関係は破綻しているので、いずれ離婚の上、申立人を正式に入籍するというので申立人も承諾し、双方の親族列席の上、結婚式を挙げたこと、そして昭和二三年二月七日浩明が生れ、非嫡出子として申立人の籍に入れられたが、権之助は申立人と結婚後一年余りで村長を辞職し、その後は働く意欲がなく、家財を売払つて徒食していた、そのうち申立人は結核にかかりこれが治療につき相手方に相談したが、相手方は話に応せず夫側でも資力がなかつたので、申立人は昭和二七年一〇月単身松江市に出、医療保護を受けながら松江赤十字病院に入院し、昭和三〇年八月退院を命ぜられても夫の許に帰らないで、松江市設救護人収容所に入つて生活し、昭和三四年再度松江市立病院に入院して治療を受け、昭和三六年三月退院に際し松江市福祉事務所によつて夫権之助のもとに送り届けられ、以来月額七、〇〇〇円(権之助と申立人の二人分)の生活扶助と相手方からの援助送金によりようやく生活を維持している状況であること、そして現在申立人は夫権之助と二人暮し(浩明は昭和四一年四月○○高等学校卒業後、広島市内の○○ベーカリーに就職他出中)であるが、申立人としては権之助との夫婦生活を続ける意思は既になく、ただ同一家屋内に居住しているというだけで寝所や食事を別にし(もつとも生活扶助金は権之助と申立人の二人分として支給を受けている関係で炊事だけは一諸にしている)、現に同人を相手取り、松江家庭裁判所出雲支部に内縁解消による財産分与請求の審判申立中であること、右の次第で申立人としては、この際兄である相手方に対しあくまで申立人を引取つて扶養すること、それも相手方夫婦と別居する形での引取扶養を希望し、金銭給付による扶養は考えておらず希望もしていない旨述べていること、
(三) なお裁判所技官古賀薫の診断の結果によれば、申立人の性格は高度のヒステリー性格で、多弁、自己顕示、自己中心、誇張等が目立ちその程度は高度で病質的であり、従つて対人関係は円満にゆかないこと、また国立島根療養所○○医師の回答によれば、申立人の病状は、肺結核の方は昭和三四年頃に殆んど治癒しておりただ腸結核の後遺症として便秘、下痢の治療を一、二月に一回程度受ければよく、常時治療を要する程の病状ではないこと、
(四) 一方相手方は県立○○商業学校卒業後、○○合同銀行に勤務中、昭和四年一月一二日赤田扶佐子と結婚し、その間に長男泰典を儲けたが、昭和一三年六月一四日父為作病死により家督を相続したこと、そして現在は長男泰典は結婚して東京で独立し、相手方は妻扶佐子と二人家族であるが、妻扶佐子は宗教法人○○○総裁並びに同会経営の○○園の園長を兼ね、相手方は有限会社○○不動産(金融業)の代表取締役をしていると共に有限会社○○旅館を経営し、両会社からそれぞれ月金二万円宛の給料を受けているほか、相手方は松江市○○町に建坪一〇・五坪の平家建家屋一棟および田約五反四畝歩、山林約六反歩を所有し、また妻扶佐子は同市○○町に建坪七九・三五坪と六八・三五坪の二階建家屋二棟および約五二六坪の宅地を所有しているが、右扶佐子所有の宅地建物はいずれも同人が総裁をしている宗教法人○○○へ無償貸与され、同会において現在礼拝所、事務室等に使用しており、また昭和四一年に右建物の玄関脇に瓦葺二階建建物一棟を新築したが、これは○○園の分室として現在同園の職員一名と間借学生九名が居住していること、なおまた相手方所有の前記不動産および会社からの給料の一部は昭和二六年ないし昭和二八年度所得税の滞納等により現在差押を受けており、相手方は○○園の宿直室とか○○旅館の一室で寝泊りしている状況であること、右の次第で相手方としては申立人に対し月額三、〇〇〇円位の金銭給付は考えているが、現在申立人を引取つて扶養する意思は全くなく、またその余裕もない旨述べていること、
(五) なお当裁判所調査官の調査の際、月山権之助は「申立人は一種の性格異常者で、私方に同居しているからこそ曲りなりにも何とか生活ができているので、他人と調和して社会生活ができる人柄ではない。私の方から内縁関係を解消しようと云い出したことではなく、申立人が一人でりきんで申立をしたもので、申立人が平静になつて主婦家業に専念する気持になりさえすれば、私の方で同居を拒む理由はない。」旨述べていること、
以上の各事実を認めることができる。
叙上認定の各事実に徴すれば、申立人が権之助との内縁関係の継続を嫌い、これが完全な解消を思いながら現在なお同人と同一家屋に居住しているのは同家を出れば住む家がないからであつて、申立人としては一日も早く権之助方から出たいと切望していることはこれを窺い知ることができるけれども、一方相手方の資産および生活状況が前認定のとおりであること、その他前示認定の一切の事情を斟酌考量すると、金銭給付による扶養はとにかく、相手方に対し強制的に申立人を引取つて扶養することを命ずることにいささか躊躇を感ぜざるを得ないのであつて、結局現在のところ相手方には申立人を引取つて扶養する余力がないと認めるので、相手方に対し引取扶養のみを求める申立人の本件申立はこれを却下することとする。
よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 広瀬友信)